新たなる一週間の幕開けの報告
僕は今日12345限と授業がありとてもハードだと自負してる。それなのに2時まで起きてたため4時間しか寝られなかった。
しかし12345の中で一回だけうとうととしてしまっただけで寝ずにすんだ。12345とあるときはなぜかわからないがいつも元気がないからこその空元気みたいな感じでフルパワーを出せる。
人の身体と精神っておもしろいね!!
僕は今ラテン語やドイツ語をやっているが外国語は楽しい。今年はこれだけだが来年はフランス語やアラビア語、ギリシャ語やイタリア語にだって挑戦したい。
文系で院に進むのはアホだとか言われるけど、僕はそうは思わない。やりたいことがあるのなら進むべきだと思う。やりたくもない職につき、生きて行くくらいなら少し困難な道でもやる気のある道なら困難くらいへっちゃらだと思うからね。
僕は文学部だが院にいくならなにを専門としたいかなどを常日頃考えてるがなかなか定まらない。まだ時間はあるけれど、二年生になる前にはある程度決めたいなぁとは思う。
今週はドイツ語のテストがあるのでさらに精進し頑張りたい。周りに負けたくない。子供っぽいがこれが人の欲望の源泉だと思う。さよならまた明日
5月20日が転換点になるかもしれない。
今日僕は家にいても何も成せないと思い大学へ行った。そして午前中は図書館で次の水曜日に控えている独語の勉強をしていた。そこでいつものようにTwitterに逃げたりしないようにタイマーをセットして自分を律していて、久しぶりに勉強に集中できた気がした。
これは恐らく自分の「闘争心」が騒いだのだと思う。
そして昼過ぎになり小腹が空いたのと青ボールペンが切れたのでコンビニへ行ったが混んでいて不愉快だったため、僕がこよなく愛していてコスパの良いミスティオを買って、部室へ行った。
そしたら、2年生の方が二人いた。
正直死にたいとかやる気のでない五月病に侵されていた僕は部室に行って何が変わるわけではないと思ってたけど、図書館で飲み物を飲むのは禁止されてるから向かったことにしてるが、実際は人に会って話すという悦びを味わいたかったのかもしれない。
そして、
「僕五月病ぽくてやる気全くでなくて死にたい願望強いんですよ。」
と言ったら、
2人ともそういうこと考えたことあるらしくて自分らの人生についての見解を教えてくれたりした。
で、まあここで僕がたどり着いた見解を言っておくと、
'''''生きる意味を探すのが人生であって、死ぬ時に美しいと思える人生でありたい''''
これが僕の人生の意味だと思った。そして共感も得られたので嬉しかった。
人に発する歓びを感じられて良かった。
もし五月病に悩む人がいるのであれば自分にとって「人生とは」を考えてみて自分なりに解釈してみるといいと思う。人が悩むというのは人類だから出来ることだと思う。悩むことの出来ない動物だっていると思うし、悩むことを放棄して酒に逃げる奴だっているよ、でも悩む勇気があるのであればひたすらひたすらひたすら悩んで悩んで出した解には必ず意味があると思う。
だから、僕のように五月病に悩んでいる人がいたら悩んで欲しいと思う。
そしてこう思へ、
『俺は神になる』と、そして努力して、目指せ夢を未来を。
はじめまして。
1998年生まれの男です。これから宜しくお願いします。
テストです。これわ。