人生喜怒哀楽

人生で感じたこと思ったこと何かわからない何かについて。

今日の出来事0528yeah

今日は大学のサークルの遠足というイベントだった。僕と数人はシャセリオー展が今日までだったのでそれに行き集合時間の10時半までの時間を待った。

 

シャセリオー展はフランス人画家ですごく壮大な作品を描いていたが、最近行ったミュシャバベルの塔ブリューゲルの方が個人的には好きだった。

 

1時間くらい鑑賞し15人くらい集まり上野動物園に行った。

僕はシャセリオー展に行った人たちと回っていた、他の人たちはパンダを見たりしている人もいた。

 

そしてお昼過ぎになり午後は科学館的なところの常設展に行くことになっていたので、外に出てタイ料理の屋台でスペシャルランチというガパオライスとタイカレー(白い感じ)パクチーのせを食べた。価格は800円だった。今までパクチーを食べたことがなかったがせっかくなので食べて見たが美味しかった。割と好きな味だと思う。

 

一時半になり常設展に行った。

初めは一回の展示を見て回りそのあとB3階まで行きみてまわった。

僕は文系のためB3の展示の大半がわからなかったが理系の方がいたため沢山説明してもらいほんの少しだけ理解できた。高校までの勉強において地学、生物、化学は真面目にやっていたと自負できるが物理は全くわかってないでワークの答えを暗記していたので、もう一度理解するために勉強したいと思った。なので今日からやろうと思う。鉄は熱いうちに打てよな俺

 

そのあとご飯に行って散歩したりして解散して今である。僕のこのブログにおいて何をしたかなどはどうだっていい。大切なのは何を感じ何を為すかだ。

 

 

今日僕は12時間もずっと話をしていた人が数名いるが苦じゃなかった。これは何故かを考察しなければならないと思う。君は何故だと思う?

今日の僕は美術館に行って心が芸術で満たされ幸せな心持ちになれたのかもしれない。そのためその後自然と打ち解けることができ僕の心の中を他人に見せることができたのかもしれない。

僕は他人に対して冗談を言ったり言われたらなどの関係は仲が深まったと解釈している。仲が深まったから何をしていいわけではない。親しき仲にも礼儀ありという言葉は大切である。

 

あと僕のデフォであるネガティヴ思考に対して「自分もある」などと言う同意を言われ少しは理解してもらえたのかもしれないという良かったという安堵もある。

 この気持ちが明日まで続けばいいと思う。

この出来事が終わりこの気持ちが散ることが無ければいいなぁ。

 

今日も稚拙な僕の文章を読んでくれた人が世界に一人でもいるならまだ生きている価値があったのかもしれないと思う。

 

それでは

 

Auf Wiedersehen!!

 

ミュシャ展にいってきます。

僕の人生は常に暗闇の中をもがくよう

 

夜明けとともに駆け出していけ

 

 

 

美しく死ぬために生きているのが最近の僕の考えだ。ただそれが本当に正しいのかということは疑問である。そのため僕は自分に対して常々問いかけをしなければならない。

「僕の生き方はあっているのか、間違っているのか」

 

今のような生き方は正直生きづらい。

 

ただ、ポジティブに考えることが出来るならば僕の人生は常に模索の繰り返し、ゲームのようなものとなるだろう。

 

 

しかしネガティブ思考に取り憑かれてるため、こんな苦難しかない人生やめたいと考えてしまう。

 

 

 

電車に乗っててすることがないと常に思考を繰り返してしまうために本を読んだり宿題をしたりしている時の方が幸せなのかもしれない。

 

 

 

またいつか君と出会いたい。

もがく。

僕は今日ドイツ語のテストがあるが昨日勉強にあまり集中出来なかった。ただ言い訳としては土日に単語をやっていたためまあ大丈夫かなという余裕である。

 

テスト終わった後に「次こそは頑張る」と皆が思うだろう。ただその意思を次のテストが終わるまで持続するのはかなり難易度が高いと思う。グリッドという反骨みたいな英単語があるがそれを鍛えなくては強くなれないらしい。

 

僕もグリッドはまだまだだ。

どうやったら強くなれるだろうか、僕はまだこの問いに対する答えは出ていない。

 

出ている方があれば参考にしたいのでコメントしていただけると助かる。

 

僕は分からない。だからもがこうと思う。

ひたすら生きる意味を探し、そして自分が常に成長していけるようにもがき続けたい。

 

これからはどんなテストでも満点目指したい。

目指さない人なんているのか知らないけどね笑笑

 

新たなる一週間の幕開けの報告

僕は今日12345限と授業がありとてもハードだと自負してる。それなのに2時まで起きてたため4時間しか寝られなかった。

しかし12345の中で一回だけうとうととしてしまっただけで寝ずにすんだ。12345とあるときはなぜかわからないがいつも元気がないからこその空元気みたいな感じでフルパワーを出せる。

 

人の身体と精神っておもしろいね!!

 

僕は今ラテン語やドイツ語をやっているが外国語は楽しい。今年はこれだけだが来年はフランス語やアラビア語ギリシャ語やイタリア語にだって挑戦したい。

 

 

文系で院に進むのはアホだとか言われるけど、僕はそうは思わない。やりたいことがあるのなら進むべきだと思う。やりたくもない職につき、生きて行くくらいなら少し困難な道でもやる気のある道なら困難くらいへっちゃらだと思うからね。

 

 

 

僕は文学部だが院にいくならなにを専門としたいかなどを常日頃考えてるがなかなか定まらない。まだ時間はあるけれど、二年生になる前にはある程度決めたいなぁとは思う。

 

今週はドイツ語のテストがあるのでさらに精進し頑張りたい。周りに負けたくない。子供っぽいがこれが人の欲望の源泉だと思う。さよならまた明日

 

 

脱皮

昨日遊んだからという理由で今日の遊びに誘われたの断る自分とは、一体ストイックなのか、ただのバカなのか。

大学はつまらなく、

高校の友達に会いすぎたらまた月曜からの大学生活で辛くなってしまうから断ったのかもしれない。

 

あと今日僕はLINEを消した。

僕の中でLINEを消すということは生まれ変わりとか、脱皮とかににてる気がして、とても気持ちのいいものだ。

 

 

ツイッターもやめようと思ったがそれはやめれなかった。

 

明日は1限からあるしまだ宿題が終わってないので今日はここまで。

5月20日が転換点になるかもしれない。

今日僕は家にいても何も成せないと思い大学へ行った。そして午前中は図書館で次の水曜日に控えている独語の勉強をしていた。そこでいつものようにTwitterに逃げたりしないようにタイマーをセットして自分を律していて、久しぶりに勉強に集中できた気がした。

これは恐らく自分の「闘争心」が騒いだのだと思う。

 

 

そして昼過ぎになり小腹が空いたのと青ボールペンが切れたのでコンビニへ行ったが混んでいて不愉快だったため、僕がこよなく愛していてコスパの良いミスティオを買って、部室へ行った。

 

そしたら、2年生の方が二人いた。

 

正直死にたいとかやる気のでない五月病に侵されていた僕は部室に行って何が変わるわけではないと思ってたけど、図書館で飲み物を飲むのは禁止されてるから向かったことにしてるが、実際は人に会って話すという悦びを味わいたかったのかもしれない。

 

そして、

「僕五月病ぽくてやる気全くでなくて死にたい願望強いんですよ。」

 

と言ったら、

2人ともそういうこと考えたことあるらしくて自分らの人生についての見解を教えてくれたりした。

 

で、まあここで僕がたどり着いた見解を言っておくと、

 

'''''生きる意味を探すのが人生であって、死ぬ時に美しいと思える人生でありたい''''

 

これが僕の人生の意味だと思った。そして共感も得られたので嬉しかった。

 

 

人に発する歓びを感じられて良かった。

もし五月病に悩む人がいるのであれば自分にとって「人生とは」を考えてみて自分なりに解釈してみるといいと思う。人が悩むというのは人類だから出来ることだと思う。悩むことの出来ない動物だっていると思うし、悩むことを放棄して酒に逃げる奴だっているよ、でも悩む勇気があるのであればひたすらひたすらひたすら悩んで悩んで出した解には必ず意味があると思う。

 

 

だから、僕のように五月病に悩んでいる人がいたら悩んで欲しいと思う。

 

 

 

そしてこう思へ、

『俺は神になる』と、そして努力して、目指せ夢を未来を。